「Elegance in the Sky !」 | |
〜 TEAM雅 誕生秘話 〜 |
序章 − 非行青年集団 − あの頃、 いつも週末の夜は、「MS Flight Simulator 98」で深夜徘徊していた。 あの頃の我々は、無法者集団だった。 千歳空港を根城に、 民間空港に神出鬼没で、しかも民間機、戦闘機が、ごちゃ混ぜ。 航空管制も、何もなし。 民間機(ジャンボ)を使い、背面飛行で橋くぐりをする猛者もいた。 あの頃の我々は、無法者集団だった。 あの頃の、我々に捧ぐ。 第壱章 − 1998年11月14日 − その日はいつもの非行青年集団が、 まだ夜も明けぬ早朝から、集合していた。 「ko−」の車が、我が家の前に止まる。 「Alex」、「Bellkanon」も居た。 集合場所は、「RedFox」宅。 真っ白な息を吐き、「RedFox」宅を出発した。 行き先は、岐阜県の航空自衛隊各務原基地。 1996:2名参加 「Alex」と「ko−」で。 1997:4名参加 「Herlock」と「Bellkanon」が、追加。 1998:5名参加 「RedFox」が追加。 何気ない話しで、盛り上がる。 やがて、右手に岐阜基地の敷地の一部が見え始める。 この日が、我々の出発点となる。 第弐章 − 岐阜各務原基地航空祭 − あっという間に、基地に到着。 基地近くの空き地に車を止め、近所の喫茶店に暖を取りに行く。 今日のイベントへの期待や興奮を織り交ぜながら、 やがて開門の時刻がやって来た。 基地のゲートは開かれ、 たくさんの人並みにまぎれて、我々は、滑走路方面に移動した。 そして、イベント第一弾は開始された。 マスフライト(異機種大編隊)が始まり。 「C−1」を先頭に、「F−15J」が、 「F−4EJ」が、「T−2」、「T−4」が飛ぶ。 「F−15J」と「T−3」のランデブーが、始まる。 それが、かなりの操縦技術の要る事だとは、 そのときは思わなかった。 そしてイベント第一弾は終わり、 会場内をAlexと見物する。 「F/A−18」や「EA−6B」を眺めながら、 写真を撮りまくり満足していた。 第参章 − Blue Impulse − 軽い昼食が終わり、睡魔も近づく頃、 滑走路に、彼等が姿を現した。 純白のBODYに、青いライン、 彼等の名は、「Blue Impulse」。 そう、彼等こそが、「蒼穹の騎士達」である。 ロールオン・テイクオフ&ローアングルキューバン! そして彼等は、 大空のキャンパスにカラースモークで、 とても大きなアートを描く。 超低空からの大技の数々。 大空にハートを描き、キューピッドの矢を描いたり、 (バーティカル・キューピット) 大空一面に、星を描いたり、 (スタークロス)まさに縦横無尽。 バーティカルクライムロール! 我々は、その動き、技術に魅了された。 タック・クロス! そして展示飛行は、あっという間に終了。 ローリング・コンバット・ピッチを決め、 彼等は降りて来た。 全員が、口をポカッと開けて、感動に浸っていた。 我々は、BlueImpulseの展示飛行を堪能した。 第四章 − The Light Staff − 「おい、俺達もやるぞ!」 BlueImpulseの展示飛行を堪能した帰り道、 突然Redは発奮した。 Redは、かなり本気だった。 「うん、いいね」 みんなそれなりに、盛り上がった返事。 「TEAM名は、どうする?」と、Red。 「錦御膳やな。」と、Alex。 「メッチャ和風やな。」とHerlock。 「ミヤビにするか?」とRed。 「漢字で行くの?」とBell。 「漢字で行くか!」とRed。 「それいいっすね!」とko−。 「錦御前も捨て難いけど、雅だな!」と、Alex。 それは、いつもの「コトバ遊び」のレベルの会話だった。 少し余韻の残った感動と、少しの疲れを土産に、 それぞれ、解散する予定だった... が! 何故か車は、違う所に停車した。 それは、大型パソコンショップ。 「キーボードじゃダメや!俺はジョイスティックを買うぞ!」 Redは、サクサクと、準備を進めていた。 当時Redは、キーボードで、飛んでいたのだ。 我々は、 まだ「The Light Staff」 (軽〜い人々)だった。 第五章 − 我々の翼 − TEAMの旗揚げ準備は進んでいたが、 肝心の翼が無い。 当初Redは「F−15J」、「F/A−18」を、 チョイスした。 しかし、これでは無理がある。 機体選択は、難航した。 そのころ、 機体コレクターとしての自負も有った私は、 Redに「T−4」を提案した。 偶然にも、航空祭の4日前に、 当時NiftyのFSフォーラムで、DLした機体だった。 理由は単純である。 「Blue Impulse」と、一緒だから。 しかし、 この機体に巡り会えた事が、最大の出逢いを生んだ。 それは、知る人ぞ知るFS界の大御所。 あの白井正芳 氏の作成した、「T−4」だったのだ。 機体特性は素直、そして運動性能は本物並。 (お前は、本物に乗ったんか!などと、突っ込んではいけない。) 白井氏に感謝しつつ、 我々は「T−4」を翼に、とにかく飛んだ。 初めて出来た技は、 「ダイアモンド整列」と、「デルタ整列」だけだった。 でも、我々は満足だった。 第六章 − 「TEAM雅」誕生 − 1998年12月11日 この日は我が家で、忘年会も兼ねた「幹部ミーティング」。 我々は、リーダーの差し入れの「ふぐチり」食べながら、 今後の事も含め会議をした。 1.我々は、「Virtual Aerobatics Team」を発足する。 2.我々は、「TEAM雅」を、正式TEAM名として決定する。 3.我々は、白井氏作「T−4」を正式機体として採用する。 この日、「TEAM雅」は、 正式な「Virtual Aerobatics Team」として、 軌跡を刻み始めた。 第七章 − 機体番号 − 1999年になり、 訓練の成果はボチボチだが、上がってきていた。 やがてRedは、私にこう言った。 「機体番号が欲しいな...」 この機体番号とは、背びれ(垂直尾翼)の番号である。 私は、NiftyのFSフォーラムを再び探した。 すると、そこには「Blue Impulse」の、 「T−4」7機セットがUPされていた。 速攻で、DLしメンバーへ配布した。 機体番号の振り分けをRedにお願いしたら、 「次回訓練時に、各自好きな番号で上がってこい!」との事。 我々は訓練当日、それぞれ好きな番号で上がった。 結果、機体番号は、 No.1:Herlock No.2:欠番(謎) No.3:RedFox (リーダー) No.4:Alex No.5:Bellkanon No.6:ko− これが、創設当時から、現在に反映されている。 2番機はその後、 チャイニーズアメリカンの「TOM」となり、 現在は「Jackal」が、2番機である。 第八章 − 専用機体 − Redは、白井正芳 氏に、メールした。 機体データへの謝辞と、機体使用許可願いと、 RedのHPへのスクリーンショット使用許可願い。 3日後に白井氏から、丁寧な返事をいただいた。 白井氏は、気持ち良く、すべて許可をくれたのだ。 それどころか、オリジナル塗装許可までいただいた。 青いBODYに黄色と赤のライン。 左翼には桜の花びらが、 機体番号の数だけちりばめられた、 Alexデザインの、オリジナルカラー。 さらに、我々の機体には、 ムービングパーツまで、付いてしまった。 (車輪格納や、ラダー、エレベーター等の可動版) 「Blue Impulse」並みの、最新鋭Special機体。 白井氏には失礼かもしれないが、 我々は、白井氏を「TEAM雅」の名誉工場長と思って、感謝している。 白井氏の協力なくして、 今の「TEAM雅」は、成り立たなかったかもしれない。 そして、我がTEAMリーダー Redにも、我々は、感謝している。 第九章 − TEAM雅 専用ベース − リーダーが我々の専用ベースを、 伊勢湾辺りに確保してくれた。 それまでは、 千歳を間借りしていたわけだが、 これで、 「TEAM雅」の施設・環境は整った。 そこは、我々のパラダイスだ。 我々のアルカディアだ。 リーダーも、 かなり苦労してくれたようだ。 「MS Flight Simulator 2000」に移行した時は、 ベースが高波に呑まれて大パニックしたこともあった。 だがその時も、リーダーは我々を責める事無く、 訓練に集中させてくれるために、 ひとりで復旧作業を行い、我々の帰る場所を整えてくれた。 我々は照れくさくて、リーダーにお礼を言えないでいた。 この場で、お礼を言いたい。 ありがとう、リーダー。 現在、博多湾沖合いに、 TEAM雅の第二ベースが有る。 こちらは、最近Jackalが調達した。 彼の郷里でもある福岡県だ。 こちらでも、また訓練が行われるであろう。 第十章 − TEAMのムービー − これは長年の、我がリーダーの夢だ。 リーダーは我々の飛ぶ姿で、ムービーを撮りたいのだ。 一本だけ、TEAMのムービーがある。 しかしこれは、セスナ「スカイレーン」が機体である。 我々の「T−4」でなければ、 リーダーは、つぶやき続けるのであろう。 ここは我々が、「気合と根性!」で、やるしかないのだ。 一度は出来たんだから、またやれる。 「Elegance in the Sky !」 いつか必ず、やり遂げよう。 Never Giveup! 「TEAM雅」! 最終章 − The Right Staff − あの頃、 いつも週末の夜は、「MS Flight Simulator 98」で深夜徘徊していた。 あの頃の我々は、無法者集団だった。 千歳空港を根城に、 民間空港に神出鬼没で、しかも民間機、戦闘機が、ごちゃ混ぜ。 航空管制も、何もなし。 民間機(ジャンボ)を使い、背面飛行で橋くぐりをする猛者もいた。 あの頃の我々は、無法者集団だった... 「MS Flight Simulator 98」は、 「MS Flight Simulator 2000」になり、 「MS Flight Simulator 2002」となった。 我々は、もうあの頃の我々じゃない。 Never Giveup! 「TEAM雅」! Elegance in the Sky ! これは、我々「TEAM雅」の... 「Elegance in the Sky !」への、神話創世の記録である。 |