私とFSの出会い
なんともダサダサな題名ですが、他に思いつかなかったので。私がFSを始めたきっかけなどを紹介してみ
たいと思います。
あれは98年の10月くらいのこと。当時パソコンを買ったばかりの私は、何でもいいからパソコンのゲームが
やってみたいと思い、近くの電気店に足をはこびました。もともとゲーマーな私は、パソコンの性能をフルに
生かした3Dアクションものなどをインストールすることにより、プレステなどのプラットホームとの違いを認識
してみたいと考えていました。
世はまさに3Dポリゴンゲームの嵐、当時プレステなどではバイオハザード2などが発売され、人気を博して
いました。私も月に2本ないし3本はプレステのゲームを購入し、攻略にふけっていました。この後数年間、
私がゲームを購入することは年に2度か3度ほどに減少してしまうのですが、そんなことはこの時は思いもし
ませんでした。
電気店の2階の、パソコンゲームコーナーとおぼしき所で足を止めました。いや、止められました。ふいに、
新千歳空港の景色が目に飛び込んできたからです。私は驚きました。それはトワイライトエクスプレス社が
発売する、「北海道シーナリー」のパッケージでした。「なんだこれは、本物の飛行場がゲームになって売ら
れているのか!?」 しかもパッケージに描かれたタクシーウエイなどの様子は、転入まもない私が地形慣
熟のためにいやになるほど目に焼き付けていたフィールドレイアウトそのものだったのです。コンシューマー
ゲーム機で、フライトシミュレーターといえば、リアリティがなく(当時)タクシーダウンのシュチュエーションさ
えカットされているのがお約束でした。ですからそのパッケージのリアルさには驚かされました。
気がついたら私は、FS98とシーナリーの2つを持って、レジに並んでいました。ゲーマー特有の衝動買いと
でもゆうのでしょうか。サイフはいっぺんにカラになってしまいました。ゲームを買っても1万くらいはおつりが
来る程の金額を所持していたので、私の買い物は不慮の遭遇を含みながらも意図する範疇に収まりました。
この後、私は零号機(プロフィール参照)にFSをインストールし、何度もパソコンを殴りたくなる衝動にかられ
るのですが、そこは割愛しましょう。当時の1級の部品ばかりを集めDOS・Vの初号機ができあがり、ようや
く私もFSの世界に足を踏み入れました。
感動の連続でした。今までつちかってきた航空の知識がそのまま利用できてしまうところにも喜びを覚えま
した。私がもし空が飛べたら、あんなことをしてみたい、こんなことをしてみたいと、思いつくことを片っ端から
試させてもくれました。私が大好きなF−15イーグルで、郷里のイナカ空港に着陸したこともありました。
一度リアリティを与えられてしまった私は、さらにそれをゲームの中に求めるようになりました。リアリティを
極限まで求められない(語弊はありますが)コンシューマーのゲームからは遠ざかるようにもなりました。
特にフォトシーナリーというものに魅力を感じ、TW社のシーナリーを買いあさる日々が続きました。そのシ
ーナリーの中でも、現実と異なった形状のものがあれば、「ここは違うのになあ」と、不満を感じる程でした。
当時はまだ、私の郷里の「四国シーナリー」は発売されておらず、店頭にそのパッケージが並ぶことを心待
ちに待ったものです。そしてようやくその願いがかなう日がやってきました。
「なんじゃこりゃあああ!!」 ジーパン刑事の語調で。 高知市街地上空を飛行したときの、私の第一声
でした。何もない。少し予想はしていたのですが、何もなかったのです。町並みも、河も、ランドマーク1つ
すら。とたんにブルッと、寒くなりました。こんなチープな景色じゃ飛ぶ気がしない、ましてや何百マイルも
離れた飛行場から飛んでくる意義なんて見い出せそうにない、そう思いました。気分直しに他の大都市上
空に飛んでいって、フォトリアルの地形をながめながら、うらめしくも思いました。
私はシーナリーは自作もできる、ということを知っていたので、すぐさまASDに飛びつきました。その時私
は無謀にも、そのソフトさえあれば高知市街地を自分の納得のゆくものに改造できる、と信じていました。
まず手始めに作ろうとしたのは新田原飛行場でした。それを習作として、ASDのノウハウを得ようと思い
ました。なんとか大まかな使用法はつかめたものの、1つだけ大きな疑問がありました。それは3Dオブジ
ェクトはどうやったら作れるだろう、とゆうことでした。結局、ASDだけではそれはかなわず、デフォルトの味
気ないビルが沢山建ち並ぶことになってしまいました。そこで私の制作意欲にブレーキがかかり、新田原を
作り終えたところで、シーナリー制作はあえなくストップ。この後1年間くらいFSからも遠ざかってしまいまし
た。丁度その時私はパソコンというものに、ゲーム以外の楽しさを見い出し、特にインターネットなどにのめり
こんでゆきました。
つづく