実際にあった怖い話
夜中に歩き回る靴音
ピンポン氏談
現在、松島飛行場において航空管制官をされている(仮名)ピンポン氏の体験談であります。
私は平成元年に航空自衛隊に入隊しまして、山口県の防府市にあります、航空教育隊に入隊いたしました。((1教7中隊2区隊、曹候14期)しかしながら、現在では新庁舎に移行しており、この話題に登場する旧庁舎は使用されていない。))
教育隊とは、昔で言う「予科練」のようなもの、狭い宿舎に2段ベットが6つもおかれたタコ部屋で、窮屈に自衛隊最初の苦痛ともいえる生活をおくりました。プライベートが保てるようなスペースは全くなく、自分の所持品でさえ、保管しておけるのは小さな鉄製のロッカーひとつだけ、といったありさまでした。
毎日毎日、駆け足に教練、銃剣道と、息もつかせぬような授業が目白押しでして、心身共にくたくたになってしまうような日々を送っておりました。
そんなある日でした。消灯時間の後、部屋の明かりを落とし、皆が寝静まろうかというころ・・・
丁度、私の鉄製のロッカーの辺りから物音が・・・
ガンッ、ガンッ、
そして、そのロッカーから、なんと軍靴の歩く音だけが歩き出してしまうのです。
ごと、ごと、ごと、何度も何度も2段ベットの部屋の中をうねり歩きまわります。
そんなことが何日間も続きました。
無論、このことを体験したのは表記のピンポン氏だけではなく、同室の10名の隊員が全て同じ現象を体験しております。
ついには、「この部屋には、何か得体の知れないモノが存在しているんじゃあないか・・・」という話になりまして・・・当時の班長、そして区隊長にまで話しをもっていきまして、実際にそのようなことがあるのかどうか確かめていただくために、班長と区隊長に同室に宿泊していただくこととなりました。班長は、某O田3曹、築城基地から支援班長として着任されている方でした。区隊長は、ゴレンジャー区隊長というあだ名(笑)。昔、ジャパンアクションクラブに所属されていて、ショッカーの下っ端隊員とか、戦隊もの「ゴレンジャー」の「アオレンジャー」の着ぐるみを着てスタントをされていた方でした。
やはり、その日も出まして・・・靴音は部屋中を歩き回りました。最後にその靴音が部屋を出ていく時、班長はヌメッとした物体に足まで踏まれてしまった・・・というほどなのです。
当然、話はある程度おおやけにも認められまして・・・
その後、お坊さんをお呼びまして、お払いなどをしていただいたのですが・・・
その現象はおさまらず、ピンポン氏が当教育隊を卒業されるまぎわ・・・最後にこの体験をされた夜・・・
とてつもなく、お線香の臭いのようなものが部屋中を埋め尽くしていました。そして、その日もその靴音がやってきたのです。ピンポン氏は、胸に「エスパーシール」を張って(笑)、「助けてくれ!早くこんなこと、収まってくれ〜」と、泣き叫ぶような気持ちで布団にしがみついていました。
その靴音は、
ごと、ごと、ごと、
と、部屋中を歩き回り、そして出口のところに近づきました。そして、なんと風もないのに出口のドアーは
「ぎいィィ〜」
と音を立てて開き、そしてまた風もないのに
「ばたん」
と、閉まってしまッたのでした。
隣の部屋のひょうきんもの、K田君が、すかさず飛び込んできて、すっとんきょうな声で、「ねえねえ!今見た?今見た? 風もないのにドアが開いたり閉じたりしたんだよねえ〜!!」と喚きました。ピンポン氏は、彼のひょうきんな声を聞いて、少し心が落ち着いて「ホッ」としたのでした(笑)。
振り向けばヤツがいた
清水氏談
現在、新千歳空港において航空管制官をされている(仮名)清水氏の体験談であります。
清水氏は、上記ピンポン氏と同期で、同年に山口県の防府市、航空教育隊に入隊されました。しかも部屋も上記
その日は・・・ 最悪でした。一泊二日行軍の帰り道・・・。しとしと雨が降る中を、延々20キロ以上も歩いていました。そんな距離、ただ歩くだけでも、へとへとなのに、4キログラム以上もある、とても重たい銃を担ぎ、あいにくの雨の中で雨衣
(あまい=カッパのようなもの) をはおり、じっとりとしたたる汗を我慢しながら、ただひたすら今の状況から
「解放」される ことだけを希望に歩いていました。
それから数時間、いや、そんなに経ってはいないのでしょうが、気の遠くなるような時間を経た後、ようやく
「我が家」 の基地が見えてきました。ですが、突然、耳を疑うような罵声が飛んできました。「総員、渡河により基地内に進行する!!」 ・・・え?「とか?」、 「とかって、河を渡るんですか?」
河なんてありませんよ(笑)。あったのは、幅7、8メートルのヘドロが浮く、汚いドブ川です。それが基地の周りをぐるっと一週とりまいていたのです。耳を疑いながらも・・・ もう既に隊列の前列の方は、そのドブ川に身をひたしてしまっています。進まないわけにはいかないのです。
もう、最悪でした。下着の中まで浸水しながら、この職業の低俗性をののしりました。
やっと向こう岸に上がったと思ったら・・・ 今度は、「前方1500メートルに敵発見」
なんて言いだしまして、これが・・・ それから、延々約1500メートルに及ぶ、基地グランド内の駆け足です。重い銃が手にズシリと乗りかかり、もう腕の感覚もなくなってしまいました。ほうほうの体で、ヨダレたらしながら、進行方向だけを見て祈るような気持ちで走っていました。落伍者もでました。白いアワをふいて倒れた隊員も2、3人いて、救急車にかつぎ込まれていました。それを横目で見ながらも、「いいなあ、俺も楽になりたい」
なんて浮かんでしまうほどです。
訓練が終わった夕方、なおも苦痛は続きました。まずは、銃の清掃に数時間・・・ その後は、ドロドロになった作業服
(戦闘服) を洗濯しなければ、すぐ着る物がなくなってしまいます。それを洗濯する洗濯機でさえ、200人中、3、4台の割合・・・ フロにも入りたい・・・、何より先にベッドに倒れ込みたい気持ちを抑えながら、宿舎の洗濯場で、洗濯機の順番を待ちました。くどいようですが・・・ 最悪の1日でした。
そんな状態でしたから・・・ 宿舎の中は約200名の隊員のほとんどが、パンツ一丁にシャツ一丁という出で立ちで歩き回っていました。
午後8時・・・ この時間になっても、そのスタイルは変わることがありませんでした。スモーカーの私は、自室内での喫煙は禁止されていましたので、「娯楽室」と呼ばれる、テレビ1台置かれているだけの、そう娯楽でもない部屋に入って、その日わずか2、3服めとおぼしき煙草に火を付けました。
「ふう・・・」 煙がたなびきました。落ち着くという感じではありませんが、とりあえずの一服でした。部屋には誰一人いなく、いつになく暗かったです。テレビも消えていました。いつもなら、200人の中のえりすぐりの(笑)スモーカー達がその1室に集まるので、こんなことはありえませんでした。宿舎全体も落ち着きを取り戻しつつあったので、長い廊下にも、ほとんど人通りがなくなっていました。
ふと気付くと、私の後ろに人影が立っていました。私は、あまり注視して見てはいないのですが・・・ とりあえず、その人物の異様さに、一瞬
「はっ」 としてしまいました。なんと、完全武装の隊員が、私の背後に立っていたのです。上はライナー(ヘルメット)をかぶり、青白い
(ほとんど白い) やせこけた顔にメガネ、腰にはご丁寧に弾帯までつけて、編上靴(軍靴)を履き、足は輪ゴムで作業ズボンの端末を処理していたほど、ピシッとした出で立ちでした。誰もが、パンツ一丁にシャツ一丁で出歩くそんな日に、彼の格好は異様だと目に映りましたが・・・ 実際、そんなことに気を配れるほども、自分が元気というわけでもなかったので・・・ どっかの班長(分隊長)クラスかな?とも思いました。
しかし彼は、おもむろに歩き出し・・・ 丁度私の背中の辺りにやって来て、スッと、しゃがみこんでしまったのです。
依然、私は無関心でしたが・・・ 私は想像していました。「目隠しでもしてくるつもり? だれか知り合いだったかな?」 そして、私は後ろを振り返ってみました。すると・・・ そこにいるはずの彼の姿が見えませんでした。なんと、私の後ろには、誰もいなかったのでした。 ・・・え?
私はすぐさま、部屋から廊下に飛び出してみました。ほんの数秒間のできごとです。イタズラをしているのなら、走り去ってゆく誰かの姿が廊下にあろうはずですが・・・ 長い廊下には、ひとっこ一人いません。そんな日ですから・・・ みんな疲れて、部屋でゆっくりしているのは当然なんですが・・・
私は、ちょっと怖くなって、自分の部屋に戻りました。部屋では同僚が、寝ぼけ眼でベッドに横たわっていて・・・ 誰も私の話を聞いても、「あっ、そう。」と言う感じで、まともにとりあってはくれませんでした。
今でこそ思うのですが・・・ あれが幽霊といふものではないでしょうか・・・・?