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更新日 2009-02-01 | 作成日 2008-04-03

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航空100年

1903年12月17日にアメリカのライト兄弟は「ライト・フライヤー」を使って世界で始めて航空機による「歴史的飛行」を行いました。
あれから100年、1つの区切りの間に航空機は大きな進歩を遂げました。FSとともにその歴史を振り返ってみましょう。

航空機の始まり(1903~)

ライト兄弟の初飛行から 10 年ほどたった 1914 年に第 1 次世界大戦が勃発すると航空機は武器としての可能性を見出され、偵察・連絡といった任務はもちろんのこと爆撃・空戦などといった用途にも使用され著しい発達を遂げることになりました。
1930 1931 1932 ライト・フライヤー
1903
1904 1905 1906 1907 1908 ブレリオXI
1909
1910 1911 1912 1913 1914 1915 1916 1917 カーチス JN-4 ジェニー
1918
ヴィッカース・ヴィミー
1919
1920 1921 1922 1923 1924 1925 1926 ライアンNYP-1
1927
1928 フォード4-AT-Eトライモーター
1929
1930 1931 ロッキード・ヴェガ5B/5C
1932
1933
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1934 1935 1936 1937 1938 1939

ライト・フライヤー(1903)

1903WF.jpg
1903 年 12 月 17 日、世界初の動力飛行はアメリカのライト兄弟によってもたらされました。
「ライト・フライヤー」には、発動機・プロペラ・方向舵・翼のねじりといった航空機としての必要不可欠な要素が盛り込まれていましたのです。
これらの飛行に必要な研究を地道に積み上げることによって、人類は大いなる一歩を踏み出しました。
●Wright Flyer
[2k4](機体本体) FS2004標準

ブレリオXI(1909)

1909Bl.jpg
ライト兄弟の成功の後も飛行に対する挑戦は行われました。この頃の飛行は危険な冒険でありパイロットが「飛行家」とも称される時代でした。
そんな時代にあって 1909 年 7 月 25 日、フランスの飛行家「ルイ・ブレリオ」によって初の英仏海峡横断が成功しました。
「ブレリオXI」、単葉で機首にエンジンを積む近代的な容姿を持つこの機体によって 37 分の飛行で達成されました。
●Bleriot XI
[2k4](機体本体) blerxi.zip

カーチス JN-4 ジェニー(1918)

1918CJ.jpg
第 1 次世界大戦はパイロットの養成という需要を生み出しました。この頃のアメリカ航空界はヨーロッパの諸大国に対して遅れをとっていましたが、カーチス社は「JN-4 ジェニー」という練習機を多数生産しました。
大戦が終わって余剰となった機体は、民間機として払い下げられて曲技飛行などに使用され、航空機が一般のものとなる素地を作りました。1918 年に初の郵便輸送に使用されたのもこの機体です。
●JN-4 Jenny
[2k4](機体本体) FS2004標準

ヴィッカース ヴィミー(1919)

1919VV.jpg
第 1 次世界大戦が始まるやドイツは、イギリスの首都ロンドンを爆撃しました。これに対抗するためイギリスのヴィカース社は「ヴィミー」を開発しましたが戦争には間に合いませんでした。
その後輸送機として使われましたが、この飛行機を有名にしたのは 1919 年、大西洋無着陸横断飛行とイギリス-オーストラリア間を 30 日での飛行です。まさに、交通機関としての活躍を予感させる出来事でした。
●Vickers Vimmy
[2k4](機体本体) FS2004標準

ライアンNYP-1(1927)

1927NYP1.jpg
1927 年 5 月 21 日、一人のアメリカ人の若者、リンドバーグが大観衆の待つパリのル・ブールジェ飛行場に降り立ちました。
「スピリット・オブ・セントルイス」と名付けられた機体で初の単独大西洋無着陸・無給油横断成功の瞬間でした。
まだ航法の技術も未熟な時代において、ニューヨーク~パリ間の過酷な飛行を終え、パリ到着時に語った「翼よ!あれが巴里の灯だ」はあまりにも有名です。
●Ryan NYP-1
[2k4](機体本体) FS2004標準

フォード4-AT-Eトライモーター(1929)

1929Ford.jpg
1929 年にバード少将以下 4 名は、フォード 4-AT-E「トライモーター」を使用して南極点を目指しました。
南極リトル・アメリカ基地を出発、約 1300 キロを飛行して極点に到達、燃料補給の後 15 時間 51 分後に基地に帰還しました。これが初の南極点上空飛行となりました。
この機体は冒険や曲芸のための飛行機を移動の手段としての価値を広めるものとなりました。
●Ford 4-AT-E
[2k4](機体本体) FS2004標準

ロッキード ヴェガ5B/5C(1932)

1932Vega.jpg
1932 年に航空史に新たなページが加わりました。
アメリカの女性飛行家アメリア・イヤハートは、ラジオ番組や宣伝広告などでその名が知れわたっていました。
1932 年アメリアは、愛機「ヴェガ」に乗ってニューファンランドからアイルランドまでの単独飛行に成功。この女性初の大西洋横断飛行が、彼女の人気をさらに不動のものにしました。
●Lockheed Vega
[2k4](機体本体) FS2004標準

  

レシプロの発展

第 1 次世界大戦で飛躍的な進歩を遂げた航空機に次なる飛躍のチャンスを与えたのは、残念なことに次の第 2 次世界大戦でした。
戦争により武器開発が活発になるという当然の帰結により、プロペラ機は終戦間際になると理論的に限界といえる性能を発揮するに至りました。
1930 1931 1932
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1933 ダグラスDC-3
1934
1935 ショートS23
1936
1937 1938 1939
1940 1941 1942 ロッキードコニー
1943
1944 1945 1946 1947 ヴィッカース バイカウント
1948
1949
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ダグラスDC-3(1934)

1934DC3.jpg
ボーイングの対抗機を求めて TWA の依頼によって製作された DC-1・DC-2 の拡大型として「DC-3」が製作されました。
この機体は第 2 次世界大戦が始まると航空機としては記録的な生産数を達成して、連合軍の物資・人員の輸送に大いなる貢献を果たしました。
戦後になって余剰となった機体は民間航空で活躍を始め、その後の民間航空の発展に寄与することになりました。
●DC-3
[2k4](機体本体) FS2004標準
[2k4](機体リペイント) cporange.zip

ショートS23(1936)

1936S23.jpg
この頃の航空機による長距離飛行は、航続距離や安全性の面から飛行艇が絶対的に有利でした。
海外に植民地を抱えていたイギリスは、本国との連絡や輸送手段として「ショートS.23」を始めとする積極的に飛行艇を開発・運行しました。
インド・南アフリカ・オーストラリアなどに毎日一往復の便が設定され、大英帝国の威信が世界に示されました。
●Shorts S.23
[2k4](機体本体) s23_v10.zip

ロッキード スーパーコンステレーション(1943)

1943Connie.jpg
TWA の社長と同車の大株主で事業家であるヒューズ氏の構想により「スーパーコンステレーション」は生まれました。
ライバルのダグラスに先んじて与圧キャビンを導入、操縦系統の油圧など積極的に最新技術を取り入れました。
この機体はWWⅡで軍用輸送機として投入されました。戦後には、ゆるくS字の曲線を描く女性的なラインから「もっとも美しい旅客機」と称えられました。
●Connie
[2k4](機体本体) connie.zip
[2k4](機体リペイント) connielh.zip

ヴィッカース バイカウント(1948)

1948Vic800.jpg
時代がジェットへと移り変わる狭間でプロペラ機の新しい潮流として「バイカウント」が生まれました。
それまでのピストンを使用したレシプロエンジンに変わり、ジェットを動力としてタービンでプロペラを回すターボプロップが採用されました。
このことにより、振動の多いレシプロ機に比べてキャビンの快適性が格段に向上し、好評を得ました。
●Viscount
[2k4](機体本体) Visc800.zip
[2k4](機体リペイント) visco-sm.zip

  

ジェットの芽生え

戦争の混乱も終わり民間航空が徐々に活気を帯びてきました。この時代に旅客機は新しい動力であるジェットエンジンを採用して新たなステージに入りました。
当初は経験不足による不幸な事故などに見舞われましたが、地道に実績を積み重ねて次の世代の橋渡しを行いました。
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1950 1951 コメット
1952
1953 1954 カラベル
1955
1956 ボーイング707
1957
1958 1959
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コメット(1952)

1952Comet.jpg
イギリスは、第 2 次世界大戦後の民間航空のあるべき姿を模索していました。
そして、戦後の 1952 年 5 月 2 日には、世界初のジェット旅客機で「コメット」をロンドン~ヨハネスブルク線を開設しました。
しかし、その栄光は長続きしませんでした。相次ぐ空中分解により運行停止、事故原因調査で手間取っている間にアメリカのボーイング 707 が、より近代的なジェット旅客機として登場したからです。
●Comet
[2k4](機体本体) dh106c04.zip

カラベル(1955)

1955Caravell-X.jpgフランスはジェット機の時代を迎えて、新しい中・短距離用機材として「カラベル」を開発しました。
この機体は、ジェット旅客機として初めてリアマウント方式を採用し、その後の小型旅客機のスタンダードを確立することになりしました。
一方、優美な機体と視界の良い特徴的な三角窓は旅客に好評で、フランスのデザインらしい名機となりました。
FSX.gif●Caravelle
[FSX](機体本体) afgc3af3.zip

ボーイング707(1957)

1957B707-A.jpg
軍用の給油機 KC-135 を転用して製作された「ボーイング707」は、コメットの事故による遅れに乗じてジェット旅客機のスタンダードとして登場しました。
プロペラ機の名残を残すコメットに対して、パイロン支持によるジェットエンジン装備法・直線を基調とした後退翼など現代のジェット機の模範となる形態を備えていました。
これらの先進性が、その後の開発競争に勝ち残る素地となりました。
FSX.gif●B707
[FSX](機体本体) b707x.zip

  

ジェットの躍進

ジェット旅客機の優位性が証明された後、機体の大型化による大量輸送・高速化による到達時間の短縮など新しい課題に向けて開発が進めれました。
就航当初はジェット旅客機が得意とする長距離路線に積極的に投入されていましたが、中・短距離路線にマッチした機体によって次第に活躍の場を広げられました。
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ボーイング727
1962
1961 コンコルド
1952
1963 1964 1965 ボーイング747
1966
1967 F-14トムキャット
1968
1969
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ボーイング727(1960)

1960B727.jpg
707 の成功によってジェット旅客機のメーカーとしての地位を築いたボーイング社が次に製作したのが「ボーイング727」です。
短距離での効率的運用を目指して各種の高揚力装置が備えられ、尾部に集中したエンジンとT字の尾翼がこの旅客機に独特のスタイルをもたらし、スピード感をもったものとなりました。
日本でも国内線に大活躍して、1,800 機以上の大ベストセラーとなりました。


●B727
[2k4](機体本体)「727 Professional」(Just Flight社)
[2k4](機体リペイント) B727_JAL8319_V02.zip
  >(「hama」さんの「hamaのホームページ」より)

コンコルド(1962)

1962Concorde.jpg
1962 年に英仏共同で超音速旅客機の開発が、「コンコルド(協調)」という名称で実を結びました。
しかしながら、就航後の環境問題・採算性の悪さや航空不況などの問題に打ち勝てず 2003 年に定期飛行を終えました。
次の世紀では、超音速旅客機が大空を闊歩する思われていた風景は、すでに歴史の 1 ページとなってしまいました。
●Concorde
[2k4](機体本体)  PM2C_V2_BASE_FS9.exe ほか
[2k4](機体リペイント) PM2C_V2_AF03.exe

ボーイング747(1966)

1966B747.jpg
旅客機による大量輸送の始まりは、米空軍の大型輸送機の受注競争に敗れたボーイング社が、起死回生の策としてパンナム社に旅客機としての購入を打診したことに始まります。
こうして生まれた「ボーイング747」は、ジャンボのニックネームが象徴する、それまでの常識を覆すようなキャパシティが時代のニーズとマッチして海外旅行をより身近にするきっかけとなりました。


●B747
※画面は、747 の初期型(クラシックジャンボ)です。
(FS2004 では、747-400(ハイテクジャンボ) が標準です。)
[2k4](機体本体) os742V3jlrg.zip
[2k4](機体リペイント) panam747.zip
※使用エンジンによる本体との組合せに注意してください。

F-14トムキャット(1968)

1968F14.jpg
米海軍の艦載機として開発された「F-14トムキャット」は、さまざまな姿勢での運動能力を満たすために画期的な可変翼を採用しました。
また、強力な火器管制システムによって 24 機の目標を監視しつつ脅威の大きい 6 目標に対してミサイル攻撃が出来ます。
この機体は、トム・クルーズ主演の映画「Top Gun」の大ヒットによって一躍有名になりました。
●F-14
[2k4](機体本体) f14bfs9a.zip

  

ジェットの成熟

民間機のジェット化が順調に進む中で、より安全な運行を目指してコクピットの近代化も積極的に進められました。
従来の機器はデジタル表示を中心としたものに変わり、自動化の進展により必要最小限の表示によるダークコクピット・グラスコクピットなどと呼ばれるものになりました。

エアバスA300(1972)

1972A300.jpg
世界の旅客機市場は、次第に米国メーカーが寡占するようになってきました。
そうした流れに対抗してヨーロッパのメーカーが共同で、空港の間を飛び回るバスのようにというコンセプトを掲げ、新しい旅客機を製作を開始しました。
各国の距離が近いというヨーロッパの地理的特性を活かした 300 人クラスの中・短距離旅客機が「エアバス」の社名とともに歩み始めました。
●A300
[2k4](機体本体) sey_a300.zip

ロッキード L-1011 トライスター(1978)

1978L1011.jpg
ロッキード社が航空会社からの要求により米大陸を横断できる旅客機として開発したのが「トライスター」です。
技術的なチャレンジに取り組み、悪天候においても安全な自動着陸が可能な先進的な機能を備えました。
ライバル機であるダグラス社のDC-10と同様、ジャンボを補完する目的が期待されましたが、その後の双発機の躍進により中途半端な立場に追いやられてしまいました。
●L-1011
[2k4](機体本体) adsl1011.zip

エアバスA320(1988)

1988A321.jpg
A300シリーズで中型の旅客機市場に食い込んできたエアバス社は、次に進出を計画したのが150席クラスの「エアバスA320」でした。
技術の蓄積のあったボーイング社に対し、新規開発を逆手にとって最新の技術を大胆に取り入れました。
グラスコックピット・フライバイワイヤそしてその後のエアバス機の特徴となったサイドスティックなどがあります。
FSX.gif●画面はA320シリーズのA321
[FSX](機体本体) FSX標準

  

次の100年へ

航空 100 年を迎える頃、アメリカの同時多発テロやアジアの SARS 騒動などの影響で民間の航空需要が大幅に落ち込みました。
このような状況が大手航空会社の大幅赤字や航空機メーカーの吸収合併など航空界に暗い影を落としました。
民間航空は、次の 100 年に向けて超大型機の「エアバス A380」や低コストを目指した「ボーイング 787」などのプロジェクトが胎動しました。
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ボーイング777
1990
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 ダッシュ8 Q400
1998
1999
2000 2001 エアバスA340
2002
2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009

ボーイング777(1990)

1990B777.jpg
「ボーイング777」は、同社のラインナップの隙間を埋大型旅客機で、就航当時最大の双発機となりました。
その後、胴体延長型の 777-300 では機体の長さもジャンボを凌いで最大のジェット機に成長しました。
また、この機体の開発に当たっては「ワーキング・トゥギャザー」という手法が採用され、顧客であるエアラインの意見が大幅に取り入れられました。
●B777
[2k4](機体本体) FS2004標準
[2k4](機体リペイント) b7773ali.zip

ダッシュ8 Q400(1998)

1998D8Q400.jpg
ジェット機万能の時代において「ダッシュ8 Q400」は、生き残りをかけるために進化したプロペラ機です。
原型の登場からすでに 20 年以上たっていますが、その間に胴体延長・主翼やエンジンの強化や改良などを重ねてきました。
さらにこの「Q」シリーズでは、新しい理論に基づくノイズキャンセラーを搭載して、客室内の静寂(QUIET)に努め快適な空の旅を目指しています。
●DASH8 Q400
[2k4](機体本体) dw84ana.zip

エアバスA340(2002)

2002A340.jpg
ボーイング社による双発大型機(ボーイング777)が経済性を武器に長距離路線にも進出しました。
一方エアバス社は、長距離路線は 4 発機というポリシーの基に 4 発エンジンによる信頼性を前面に押して「エアバスA340」を開発しました。
最新型の -600 では、世界でもっとも胴体の長い旅客機として初期型のジャンボの代替を狙いました。
●A340-600
[2k4](機体本体) fs346trb.zip
[2k4](パネル) a340_panel.zip